見えないから憧れる、どこにあるのか、愛と恋

たまに電車に乗った折など、携帯電話によって何がしかの映像が送れる、見られるという新製品の車内広告に、しばし考え込む。なんだってこんなものが出現する必要があるのだ。

事態は今や、利便性の追求という段階を越えている。

そもそも利便性というもの自体が、それが出現する以前には必要なかったが、それが出現したがために必要とせざるを得なくなった、という転倒した意味において成立するものだ。

電話がない時代には手紙で事足りていた。手紙のない時代には飛脚で事足りていた。飛脚がいなけりゃ出かけていって直(じか)に話した。常にすべては現状で事足りていたものなのである。

何ひとつ必要ないのである。

ところが、必要でもないのに出現した物事によって、人は「便利」という意味を知る。

よくよく気をつけていただきたい。人は必要から便利を欲することはできない。

便利は必要とされたことなど未だかつてないという、これは驚くべき人類史の盲点なのである。

 池田晶子